だれもが互いに協力し合える世の中に
Y-SMILE.株式会社
〒731-0111 広島県広島市安佐南区東野3丁目28-22-2
受付時間 | 9:00〜18:00(土日祭除く) |
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~皆様に一言~
お腹に溜まってるお肉は、夢と希望です。
1995年4月 第一産業株式会社 入社
2003年3月 交通事故に遭う
2005年3月 第一産業株式会社 退社
2007年3月 日本郵便株式会社 入社
2016年4月 日本郵便株式会社 退社
2016年5月 Y-SMILE.株式会社 設立
Y-SMILE.株式会社 代表取締役
初めまして! Y-SMILE.株式会社 代表取締役の山口義博と申します。「だれもが互いに協力し合える世の中に」を目指して、元気な方も、障害を持たれてる方も関係なく、みんなが楽しく元気に生活出来る社会を創りたい!と会社を立ち上げました。
Y-SMILE.の商号も考え抜いて付けました。「Y」はYamaguchi(山口)と、You(あなた)の両方を意味してます。
「SMILE」は文字通りの(笑う)です。
「-(ハイフン)」は「Y」と「SMILE」を1つに繋ぐ手の役目をしてます。
これで、「山口とあなた=笑う」になり、皆が笑って過ごす事が出来る、いつも笑顔がそばにある、の意味を込めて付けました。
最後の「.」(ピリオド)は商号の画数占いを調べた時に理想の画数に1画足りなかったのでピリオドを入れました(笑)
ですがこのピリオドを付けるのと付けないのを比べた時、付けた方がより繋がりが深く表現出来る様に感じられ、個人的にかなりのこだわりを持ってます(笑)
私とあなたでY-SMILE.(お互いに笑って)してだれもが互いに協力し合える世の中にしていきましょう!
どうぞよろしくお願いいたします。
ここからはかなりウザい内容になってるので、興味なかったら飛ばして下さいネ(笑)
私は子供の時から将来は会社を経営したいと思っていました。
成人してある商社(小さな会社ですが)に入社し忙しい毎日を過ごしていました。
休日のほとんどは趣味のバイクでツーリング旅行をする事で日頃のストレス発散をして、それなりに充実した毎日を送っていましたが、28才の時に不運にも交通事故に遭い大ケガをしました。幸い命は助かりましたが、引き抜き損傷(首から出ている神経の根本が引っ張られ抜けかかってる状態)と、左腕に橈骨(とうこつ)神経麻痺が残り左肩から指先まで全部ほとんど動かない状態になり、受け入れたくない現実と、信じられない自分の姿にかなり落ち込みました。
私は左利きでしたので動かない左手では箸はもちろん持てません。スプーンすらも持てません、持つというより自然にグー✊の形になっている手にスプーンを挟んでるだけ!動かないので食べ物をすくえないし、口に運ぶ事も無理です。右手は問題なかったので何とか物事を右手でカバーしてましたが、何をするにも倍以上の時間がかかるので自分にイライラします。(字も書けないし)
今まで何も意識しなくても自由に動いてくれていた左手は今では、肩からぶら下がっているタダのお荷物。しかも自分の腕が重い…(腕って4㎏位あるんですよ)
正直な所、事故に遭うまでは身体障害者の方達の気持ちは分からなかったし解ってるつもりをしてたし自分には全く関係ない事だと思ってました。この人達はかわいそうな人達だな、と思ってました。(ゴメンナサイ)
病院の先生にも「もう一生腕を動かす事は出来ないでしょう…」とはっきり言われました。何か治る方法はありませんか?と先生に聞きましたが、「今までこの症例で治った人は居ないんです…、そんな文献もないんです…」と言われ、自分だけは障害者にはならないと思っていたのにいきなり訪れた自分の出来事に納得できず、「よし!、症例が無いなら俺が作ってやる!」「文献にないなら俺がその文献第1号になってやる!」と考え、治る可能性のある事、自分で考えられる事、病院の先生とリハビリの先生を巻き込んで全ての可能性を試しました。
死に物狂いでリハビリを行っていたある時、奇跡が起こり、ナント!腕がほんの少しだけですが反応が出始め、ほんのちょっとずつ動くようになりました(^O^)/
そんな時、会社から「リハビリはもうこの辺にしてリハビリを諦めないか?」と言われました。当時私は営業職から事務職をしてましたが私の毎日のリハビリ通院(午前業務、午後リハビリ)に会社上層部から、あいつを何とかしなさい!と指令が下ったようです。
退職してリハビリに専念するか、腕を諦めて障害者雇用で会社に残るかの選択を求められました。
ちょっとですがリハビリで手が動くようになったし、もっと頑張ったら今より少しでも良くなるかもしれないのでリハビリを続けたい。会社と何回も話し合いを重ね、今まで通り通院しながらの業務をお願いしましたが受け入れられず、悩みまくった結果(おそらく人生で一番悩んだ)退職の道を選びました。
30才の時です。
会社には全く恨みはありません。会社側は退職させようとしてましたが、当時の営業部長が「私が辞めるからあいつを残してやってくれ!」と辞表を書いて提出したらしいです(この話は後日聞きました)聞いた時メチャ泣きました。課長も「辞めるな!」と泣いてくれて、自分は愛されてると実感しましたし迷惑をかけてる気持ちで一杯でした。
得意先の人まで私の家に会社を辞めないように説得に来ましたからね…
こうしてサラリーマン生活に終止符を打ち、無職になり、リハビリに専念して(病院は迷惑?)4年間のリハの鬼プー太郎の始まりです。
つづく・・・
鬼リハビリ歴4年(事故後からだと6年)、色んな事したしお金もメチャかかった。
この時、奇跡が継続中で、そこそこ左手は動くまでに回復しました。もうね、本当に奇跡よ!神様ありがとう!この時34才。
他にもリハビリに有効な事ないかな?と考えてたらテレビドラマで手話をやってるのを偶然見て、「これだ!」と思いました。手話は手を使う。手を動かすことはリハビリになるし、頭も鍛えられる!早速書店に行き、手話の本を購入して独学で勉強しました。(プーだから時間はある)他にも理由はたくさんあるけど、止まらなくなるのでここでは止めときます。
指文字を覚え、簡単な手話単語を200語位覚え、大阪に手話の試験を受けに行ったりして独学手話リハビリしてました。
この頃お金もなくなり、仕事しないとな・・・、と思い勉強しながら就職活動開始。
面接を受けましたが、仕事辞めて4年のブランクがあるので企業も不思議がって(多分ダメ人間なんだと思われてた)なかなか採用されません。社員はもちろんアルバイトさえも落ちた。手話もアピールしたけどダメだった、初心者だから当然か。その落ちたアルバイト面接のお店は後日チャラチャラしたやる気なさそーな高校生が受かってました。俺、こんな奴に負けたのか・・・(人を見かけで判断したらいけんけどね)
不採用通知が郵送してきた時は、その店の割引きクーポン券が同封されてた。嫌がらせか!速攻で丸めて投げ捨てた。
仕事しようにも不景気だし、いいオッサンだし、手もケガしてるしムリか・・・
自分のペースで手話と就職活動をしてました。
PCで仕事探してて、だめ元で受けた郵便屋さん。びっくりする事に受かりました。バイク好きと手話の話をしてアピールました。
1人採用枠に10人以上の希望が来たんよ、と後から聞いて、採用してもらった事に感謝しました。こうして商社マンから郵便屋さんに変身です。ボクってやっぱりバイクバカなんですね。
手話の勉強は続けてましたが、その内に参考書の写真だけでは動きがないので、どうも理解しにくくなり、手話サークルとかがあるんじゃないか?と思い市役所に行って聞きました。
返って来た答えは「ありません!」の一言。え?ないの?普通こういう福祉的な物ってあるはずなんじゃないの?と思いましたがハッキリ言ってたしな、無いんかな・・・とそのまま帰宅。
後日あきらめきれずもう1回市役所に行くと、今度は「ありますよ!」の返事。
なんじゃあ!あるんじゃねーか!早う言えやー・・・
コッチの地方の言葉で(そうなんですね!あるんですね!早く言って下さいよ・・・)の意味です。
あるのに昨日の人はなんで、「ありません!」と他人事の様に無表情な顔で言ったのか???
聞けば手話サークルと言ってもいきなりサークル参加は基本的にムリらしく1年間の手話入門の勉強をしたらサークルに行ける。想像するにその手話入門の入会申し込みが締め切りになった後で私が訪ねたから、募集はしてないですよ!の意味で「ありません」と言ったのだろう。それならそれでちゃんと説明してほしかった。あの時、もしそのままあきらめてたらY-SMILE.は生まれてなかったし、腕の動きも現在より悪かったと思います。この時に健常者と障害者の世界がうまく繋がってないんだ!と思いました。
手話を勉強して手話サークルに行きました。今までのイメージの違いに一変しました。みんな楽しそうにニコニコと笑いながら手を動かして話をしてるんです。聴覚障害者というハンデがあるのに障害者の感じが全然なかった。手が動かないだけで絶望していた自分とはえらい違いでした。自分が少し恥ずかしくなりました。
聴覚障害者(ろう者)達は見た目は一般の人と全く同じで黙ってれば区別がつきません。日本人と韓国人の違いを見ただけで分かりますか?ていうのと同じ感じです。
健常者とろう者の違いは音のない世界で生きているというだけです。見た目が同じだけにろう者は理不尽な思いも沢山経験しています。話を聞いていたら本当に理不尽な事が多いです。イジメも多かったそうです。昔は「家族に障害者が居る事は恥ずかしい事」とされ、外に出さない様に、目立たなように存在を隠し通す時代もありました。最近までろう者は運転免許を取る事もダメでした。他にも色々と問題はあり、そして実感しました、この社会は健常者と障害者が一緒の世界に住めていない事を。何とかしたいなと思ったのもこの時です。
つづく・・・
仕事を見つけ、手話サークルに通い、毎日を楽しく過ごすようになりました。
正直、郵便屋さんの仕事でご飯を食べる生活になるとは思ってもなかったので(学生時代に年賀状のバイト経験はあり)仕事は失敗が多かったです。ほぼ毎日注意されたりしてました。凡ミスもあり自分が情けなく思う事もありました。業務後に、あれ?そういえば今日はノー注意日だったぞ・・・と気付くと、珍しいなオレ!いつものオレじゃない!て思った程です。ここでは書けませんがかなり大きな失敗もして、よくクビにならなかったな?と思います。おそらく誰かが私を守ってくれてたのでしょう、誰なのかは大体の予想は出来ますけど。ありがとうございました。(マジで私は幸せ者です)
郵便屋さんの配達なので正月連休はもちろんありません、ゴールデンウィークの連休なんてないです、お盆も同じ、大雨降っても配達するし土砂降りでも郵便物をできる限り濡らさないようにしないといけないので大変です。郵便屋さん、ホント毎日ご苦労様です。給料は安かったですが(当然か!)ちゃんと有給もあったし少ないけどボーナスもあった。年賀状販売とかは・・・・・・でしたけど。
数年間仕事と手話サークルをして、それなりに安定してきました。
手のケガはありがたい事に元気な頃の約半分くらいかな?まで回復。思えば、悩み抜いて商社マン辞めて、リハ鬼になった私の行動は間違ってなかった、たくさんの人に迷惑かけたけどケガを少しでも回復させて自分が自分らしく新たに頑張って行く事が、前の会社に対しての恩返しだよな。と思いました。
28才で事故に遭い、がむしゃらに頑張ってきた私も37才になりました。完全にオッサン、しかもいまだに未婚の独身・・・。当時の私は結婚願望はそれなりにありましたが相手が全くいません。
私はマジでモテませんでした。女性なんて別の惑星の生き物なんだと思ってた位です。結婚はほとんどあきらめてました。と言うより自分からチャンスを捨ててたんです。
手が思うように動かない私を好きになってくれる人は居ない、見かけは普通に見えますが手の動きに制限があるので手の事を話したら絶対に振られるわ!結婚したら相手を不幸にしてしまう、私は結婚してはいけない人間なんだ!とトラウマを持ち、自分から殻に閉じこもってました。
昔、ちょっとだけお付き合いしてた女性がいましたが手の事を話さないといけないと思い、正直に話したら一発でバッサリと切られました・・・
ショックです、でもこれが現実・・・。私は結婚できないし、してはいけないんだ!と自分を更に追い込む結果に。
サークルに通ってて、手話の勉強会みたいなのがあり、参加して勉強してたら、しばらくしてある女性から声をかけられました。僕より10才若い方です。その時は別に何も感じませんでした。恋愛感情捨ててるから感じるわけがありません。少し話したりして、その内に普通に話をするようになり、気が付いたら彼女はいつも僕のそばにいる感じ。サークル内でも少し噂になりました。この方が今の僕の妻になる人なので多くは語りませんが(怒られる)通常なら告白して念願の彼女ゲット!のはずですが僕にはトラウマがあるので告白なんてするわけがありません。
彼女の気持ちは何となく気付いてはいましたが年は10才も離れてるし、若いし、かわいいし(ヨイショ↑)手話上手だし絶対何かの間違いだ!騙されるかも?サイフ取られるかも?壺とか買わされるかも?付き合った瞬間に怖い人が現れて金銭要求されるかも?(>_<)
彼女にはこんなオッサンよりもっと若い男の方が良いに決まってる!ケガしたオッサンじゃ彼女を不幸にしてしまう。そう思って距離を置いてました。
何回か食事したりしてデート?的な事もしました。その内に自分の中でこれ以上彼女を引っ張っていたら彼女に申し訳ない、ムダな時間を過ごさせてしまう。と思い、ある日、自分という人間を告白しました。「私はオッサンだし手に後遺症も持ってる、仕事はしてるけど給料安いし、いつクビになるか分からない。僕なんかやめてもっと若い男を見つけた方があなたは幸せになれる、僕なんかやめた方が良いですよ」と。
すると、彼女も自分を告白してきました。
私にトラウマがある様に、実は彼女にもトラウマがありました。
お互いがお互いのトラウマをさらけ出し、コレを言ったら絶対に終わってしまうと思い、お互いに言えなかった事・・・。
自分がトラウマに思ってた事は彼女にとってはどうでも良い事でした、同時に彼女のトラウマも私にとってはどうでも良い事だとわかり、お互いに安心して2人で大泣きしました。
そして決めました。私はこの人を守って行くと! (((( *ノノ) キャー
つづく・・・
安月給だけど収入もあり、趣味もあり、彼女もゲット出来た幸せ者の私。手のハンデはあるけど毎日を元気に生活してました。そして考える様になりました。
「俺、ずっとここ(郵便局)に居るのかな?」て言うより居れるのかな?居させてくれるのかな?
これから年を重ねていって、定年になるまで今のこの仕事を続けていけるか?郵便配達屋さんって結構な重労働なんですよ。(まあ、お金もらうのに楽な仕事なんて無いですけどね)今は体は動くけど体力勝負のこの仕事を続けるのは将来キツくなっていくはず、現に年々しんどくなってきた。若い配達員さんは凄いパワーで配達してる、尊敬する位にみんな動いてますから。彼らには絶対に勝てないだろう。色々考えました。もしまた事故かなんかでケガした時にこれからも雇ってくれるだろうか?
サラリーマンしてた時は不運ではあったが結果的(事故で)にはクビになった。ここでもケガしたらおそらくダメになるだろう。事故に遭いたい思う人間はいないし起こそうと思う人もいない、でも起きないとは言い切れない。
ここで現在の自分と将来の事を整理
現在
・仕事はしがない安月給の郵便屋さん、もっと動けばお金は増えるが当然仕事は辛くなるし体力続く?
・正直、仕事は今で結構めいいっぱい。
・今の給料では生活ギリギリ、この状態で定年退職したら貯金のないおじいちゃん。
・ケガしたらほぼその場で仕事はダメになるだろう。けど、その時に他に仕事があるのか?
・一般的に郵便屋さんは安定職だし切られるまで居た方が良いとの意見は多い。
・彼女を全力で守る事は自分が決めた事だ。
将来
・結婚と子供希望
・いつかは会社経営したい。上手くいけば生活に余裕が出るがダメだったら借金王?
さあ人生の選択のお時間です!
①このまま今の仕事頑張ってギリギリの生活を続ける。
②退職して起業する
私は②を選びました。
これもね本当に考えました(人生で2番目位悩んだ)
現状とか将来とか自分のやりたい事とか本当に冷静に考えて退職を選びました。
郵便局にも本当に感謝してます、経験させてもらいました。精神的にも更に成長。
この時は彼女とはすでに婚約してましたが当然彼女にも相談しました。
僕は会社を興したい気持ちがある。上手く行けば生活にゆとりが出るけどダメだった時はもっと辛くなる。とか、本当色々と。
彼女は言いました。「よしりん(妻は私の事をよしりんて呼びます(((( *ノノ)キャー)が本当にやりたい事をすればいい、私はどんな事があってもよしりんについていくよ」「やらずに後悔するよりやって後悔する方がまだいい」「もしダメだった時は私が夜勤でも何でもして稼げばいい」
ビックリしたし嬉しかった。
家族にも相談しました。両親も「義博がしたい事を全力ですればいいよ。」と。
けど、彼女のお母さんはかなり(゚Д゚;)だった様です(当然か!大切な娘の彼氏が無謀かもしれない人生の博打をするんだから)
そして下準備を1年以上重ね、彼女と結婚して退職して現在の広島市安佐南区にY-SMILE.株式会社が誕生しました。41才の春の事です。
つづく・・・
Y-SMILE.は2016年5月26日に誕生しました。山口義博 41才の春の事です。
昔放映されたアニメ元祖天才バカボンのエンディングテーマをご存知でしょうか?子供の頃に聞いたこの曲のある1節の歌詞が今でも脳裏に焼き付いてて離れないんです。
♪41才の春だから、元祖天才バカボンのパパだから冷たい目をしないで!♪
この歌詞にどんな想いが込められているのかは分かりませんがこの時のバカボンのパパと私は全く同じ41才の春。何か共通点があるのだろうか⁇⁇
・人から見たら安定の郵便局から手話をビジネスにした会社起業なんでバカじゃないのか?
・一部の家族からは猛烈な反対を受け、「年なんだからおとなしくしとけ!」と。
僕はバカなのか?、いやいやバカと天才は紙一重と言うしな。
Y-SMILE.はどんな会社なのか?どんな事をするのか?採算は取れるのか?etc…
私が本当にしたい!と思った事はえらそーに言えば社会を変えたい。どういうふうに変えたいか?
「だれもが互いに協力し合える世の中」にしたい!それだけ。
なんでそう思うか。
交通事故に遭うまで私は障害者の方達の気持ちは全く分かりませんでした、今だって全部は分かりませんが少なくとも交通事故に遭って手が動かなくなって、たった1本手が動かないだけでかわいそうな目で見られ世の中の敗北者の様な扱いをされました。社交辞令的に「頑張れ」って上から目線で言われました。そんな経験を持ってます。
言われなくても頑張ってるよ!かわいそうじゃないよ!みんなと同じだよ。障害があってもなくてもみんな一緒、同じ人間です、確かに障害者の方達は生きて行く上でハンデはあります。彼らが困っている時は助けてあげる事が必要です、でも助け過ぎてはいけません。
今の日本は昔ほどではありませんが「障害者は健常者が助けないといけない」「かわいそうな人達を守らないといけない」そんな風潮はまだまだ根強いです。
自分でできる事は自分でしないといけないし、させないといけません。
出来ない事だけ助けてあげる、それだけでいい。
出来ない事だけをちょっとだけ手伝う。
簡単です。
ムリしない範囲で協力出来る事、手伝う事、これをみんなが自然にすれば(できれば)みんな同じ場所で生活できるはずです。
私は手話に興味を持ち、ろう者の気持ちをちょっとだけ知ってます。なので自分に出来る事から始めます。その一つが「手話と聴導犬を広める事」全国に手話と聴導犬が広がるのを望み、それを実現させよう、手話で生活ができる社会にしよう、手話経済を創る為にNPO法人などの非営利ではなく営利の会社組織を創りました。Y-SMILE.が広めて行きます!
大半の人に「そんなの上手く行くわけないよ」「やめた方がいいよ」「無謀だよ」と言われました。
無謀かもしれないのは分かってます、いろいろ調べたりしたし知ってます。
けど、
やってみないとわからん!
やらないよりやった方が絶対いい!
ムリと決めつけて何もせず文句ばっかり批判ばかり言う人よりは数万倍カッコいい!
て事でY-SMILE.は自分に出来る事をして「だれもが互いに協力し合える世の中」を目指します。
少し戻って、子供の頃に天才バカボンをよく見てました。子供ながらに思ったことは、バカボンのパパて何も考えてないようで考えてる、考えてる様で考えてない。
私も考えてないようで考えてる、考えてる様で考えてない。同じだ…(笑)
エンディング曲の♪41才の春だから♪と私の41才の春がここでリンクしたんだ! 多分?。
冷静に考えたら何もできなくなるし怖くなるから考えないようにしてます。
採算なんて今は考えず自分が思う事をする。(お宅、営利でしょオイ!、笑)新しい会社だから利益なんて出る訳ないしね。
けど株式会社なので利益はやっぱり必要なので、Y-SMILE.のサービスと商品をお買い求めくださいませ。よろしくお願いします。
Y-SMILE.をとりあえず100年存続させよう!
Y-SMILE.を誕生させたのは私と妻ですが、会社は私の物ではありません。
Y-SMILE.を応援してくれるみんなのものです。
これからのY-SMILE.を私達と皆さんとで一緒に育てていきましょう!
「あなたの手話のイメージを180°変える事が出来る会社」
Y-SMILE.株式会社を
どうかよろしくお願いいたします。
熱い(暑苦しい)話にお付き合いいただきありがとうございました。
Y-SMILE.株式会社代表取締役 山口 義博
PS.
完全プライベート話をネットでこんなに全力で公表して良いのだろうか???
受付時間 | 9:00〜18:00 |
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休業日 | 土・日・祭日 |
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事務所に来られる際は、必ず事前にご予約ください♡
出張中や、お客様の対応中の時もございます(*''ω''*)
ご予約をいただければ、確実にお時間を作る事が出来ますので、どうぞよろしくお願いいたします♪
ご予約、お問い合わせは電話・FAX・メール・Facebook等、受け付けております。
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